朝の目覚めはよかった。天気は快晴、カラッとした暑さの中、ホテルの部屋から外を眺めているとフランクフルトという大都市にはのイメージとは正反対の自然があふれている場所にいることにはじめて気付いた。今日のオープニングマッチ、ドイツ対オーストラリア戦のスタジアムに近いという理由から選んだこのホテルは正解だったようだ。
11時にはチェックアウトを済ませ、ガイドが到着するのをロビーで待つ。ほどなく現れたの彼はドイツ語はもちろん英語、ポルトガル語を操る男で、今回の旅の目的にはピッタリ当てはまる人物だった。(ちなみに私との会話はもっぱら英語、学生時代に勉強したドイツ語も、最近始めたポルトガル語も全く役に立たない事を痛感させられた。まあ英語もほとんどダメだったが・・・)簡単な自己紹介をして、早速バスに乗り込み地下鉄の駅へ向かった。知らない土地となるとまずは中心地へ行くのがセオリーだからである。15分ほどでフランクフルト中央駅に到着、腹ごしらえの為に食事をとることになった。
食事後あたりのお店を軽く見て歩いて、スタジアムへと直行した。フランクフルト中央駅からは2駅という絶好の場所にある「Sportfild」駅を降りて10分程度歩けば、目の前に巨大スタジアムが姿を現した。噂どおりの美しい外観のスタジアムに胸が弾んでしまう。そんな中、思わず見とれていると後ろの集団から「ドイチェランド、ドイチェランド」の大合唱が聞こえてきた。キックオフまでまだ5時間もあるのに・・・、ドイツサポーターはもう待ちきれないといった様子である。
開門すると、私はまず公式プログラムを購入した。旅の想い出になるプログラムをどんな大会のものチェックしているからだ。今回のプログラムを早速眼を通すと価格は5ユーロとまずまず、紙の質や中身などは前回のフランス大会のときよりも劣るものの、内容自体は読み応えがありそうだ。(残念ながらケガで今大会不参加の高原の記事が載っていたのはやむを得ないか?)
スタジアム内ではオープニングセレモニーが行われ、その間中ウェーブが絶え間なく沸き起こるなど、本当にドイツのサッカーファンの方がこの大会を楽しみにしていたことが伝わってきた。試合はドイツが先手を取り、オーストラリアが追いかける展開で進み、全体的には少し大味な試合になった。オーストラリアは広島でプレーしていたポ゜ポビッチがケガで退場してから、それまでボランチだったミロセビッチをリベロに移したことによってリズムを失ったようだ。ただ、それにもましてドイツの今大会にかける想いがサポーターともども伝わってきたゲームだった。
いよいよ旅たちの瞬間を迎えた。今回の旅の目的は来年のワールドカップ本大会の下見とそのスタジアムで一試合でも多くの試合を観戦することである。しかも、今回も観光などはしないサッカー漬けの旅。また、かつてよくした貧乏旅行ではなく、できるだけ選手やジャーナリスト達と触れ合う時間を持ちたいという私の希望から、ホテルなどは代表選手が宿泊するところを出発前に手配した。こういう経験はお金では買えない貴重な時間、だからこそ大奮発をした旅行となった。
しかしながら、出発前は散々な思いをした。まずは何とパスポートの性別の欄が「F」になっているという信じられないような記載ミスが発覚したのである。性別の欄の男は通常「M」、しかしなんとも恐ろしい事に「F」のまますでにこのパスポートは5年も経過、すでに何カ国も回っていたのだ。早速パスポートセンターで事情を説明、係員の方の「性を変えられたことはないですよね?」などという疑惑の眼(いい加減自分の間違いを認めんかい!)にさらさられながらも、出発寸前になんとか無事交付してもらえることになった。(こういうところはいかにもお役所仕事だから、例え自分たちのミスであっても特例で早く出来ることはないらしい)
これでまずはひと安心と思ったのも束の間、出発前に急いで仕事を片付けた影響か?腰痛が再発したのである。ここ数年持病となっていた腰がこんなときに・・・。病院に行ってもとうとう出発前日にもかかわらず「OK」サインは出ず、結局は万が一に備えて大量の薬を持っていく羽目になってしまった。病院の先生には「幸運を祈ります。アウフ、ヴィタゼン(ドイツ語でさよなら)」と言われ、病院をあとに。本当に体はもつのだろうか?このあとしばらく自問自答の繰り返すことに。
そして不幸は重なるもので出発当日にはノートパソコンのバッテリーが充電できていなかったことが判明、現地でのホームページ更新を考えていただけにかなりショックだったが、さすがにこうもアクシデントが重なるともう開き直るしかなかった。「荷物が減ってよかった」なんて・・・。人間切り替えが大事だと思う。
すったもんだの末、ようやく機上の人となった。私を乗せたブリティッシュ・エアウェイズは途中ヒースロー空港を経由してフランクフルト入り。ヒースローからフランクフルトの機内はほとんどがビジネスマンで、観光客でしかも日本人は私ひとりくらいでどことなく浮いていたが、まあ薬のせいもあってかほとんど爆睡して過ごした。
空港に到着したのは午後9時頃。あたりはまだ明るく、まるで日本の夕方のよう。まずは腰の心配もありホテルでゆっくりとすることにした。ちょうどオランダで開催されているワールドユースが放送されていてそれを観ながら就寝、まずは明日からのハードスケジュールに備え体を休める事にした。
ドイツ対オーストラリア戦観戦後に少しトラブル発生、ホテルに戻る途中でつかまえたタクシーの運転手がとんでもないヤツで道を間違える(カーナビついてんだろうが!)は、ひとりでしゃべりまくっているはで私たちはすっかりご立腹。結局2時間のロスをする羽目に・・・、車で次なる目的地ライプツィヒに向かう頃にはもう夜中の2時、すっかり予定が狂ってしまっていた。思い出したくもないタクシーのせいでホテルに着いたのは午前6時ごろ、ほとんど仮眠しかとることが出来ずに朝食をとることにした。
朝食後、そんな嫌な出来事を忘れさせる出来事に遭遇した。今回宿泊するのはブラジル代表をはじめブラジルからきたジャーナリストも滞在するホテルで、そのロビーのソファで座っているある人物を発見したのだ。元アントラーズのジョルジーニョである。
ジョルジーニョといえばドイツでプレーした経験があるために、今大会のコメンテーターとしてはうってつけの人物だったのだろう、ブラジルのジャーナリストたちにもドイツ国内のことなどを盛んに聞かれていた。私も早速歩み寄って「私はカシマの近くに住んでいます」と英語で声をかけると「オオ~、カシマですか。カシマのことは今でもここにあります」と自分の胸に手をあて日本語で返してくれた。日本語はまだ忘れていないようだ。
そして、そのソファの反対側でインタビューを受けていたのがブラジルのパフェィラ監督、入れ替わりで数多くのジャーナリストの取材を受けていた彼にも最後の取材を終えると早速アプローチした。軽く挨拶をかわすと「きみは日本人か?」と逆質問、「日本の試合は観ずにセレソンを応援にきた」と告げると笑って親指を立ててくれた。見かけとは違い(失礼!)なかなか気さくないい人だ。
この後も、セレソンの有名サポーター・ガゥーショさんをはじめジャーナリストの方々とご挨拶、「ボン、ジアー」の挨拶のあとはガイドが英訳してくれるという形式で色々な方との話が弾んでいった。中には、ロンドン在住で日本語を話せるジャーナリストのDAN(日本に5年程住んでいたらしい)にも出会い、なぜか異国の地で日本語で話をすることが出来たのは実に嬉しい限りだった。ただ、この間ポルトガル語、ウェイターにドリンクを注文する際に使うドイツ語、そしてガイドから訳される英語、そして日本語と、いくつもの言語が乱れ飛び少し混乱していたのも事実だったが・・・。
ただ、会話が弾んでいる時でも選手がホテルのロビーに降りてくると、その輪は一度解かれる事となる。試合前、ロビーに降りてきたのはエメルソンとシシーニョ。マスコミの攻勢にも冷静に対処していたエメルソンに対し、新顔のシシーニョと言えばどことなく自分の居場所が分からない様子であっちにいったり、こっちにきたりで立ち往生状態。実は私は最初から彼がシシーニョだと分からなかったが、実はこの時彼のかぶっていた帽子(ガラナとVIVOというスポンサー入りのモノ)に名前が刺繍されていた事ではじめて知る事となった。選手用の帽子なんてあるんだと何か不思議と嬉しい気分になったのも事実だ。
日本対メキシコ戦をスクリーンで観戦しながら後ろ髪をひかれる思いでタクシーに乗り込みスタジアムへ向けて出発した。スタジアムへ到着すると小柄な日本人女性を発見した。そう、セレソンと小柄な日本人女性と言えばあの藤原清美さんである。実はこの前にホテル内の電話で少しお話させてもらったのだが、実際にお会いしてみて噂どおりの気さくでいい方だという印象を受けた。早速、なんとも日本人らしく?名刺交換をさせていただいた。(ともにこの時点で日本1-0で勝っているのを喜んでいたが・・・)
スタジアム内は多くのギリシャサポーターで占拠されていた。とにかく彼らの声はうるさいほどデカイ(デカすぎだ!)しかしながら、今日の彼らは決して好調とはいえないセレソン相手に沈黙、後半開始早々のロビーニョのゴールが決まった頃には半ばヤケ気味の応援がこだまするだけであった。それにしても、今日のセレソン特にロナウジーニョとカカの両MFは疲労の為か動きにキレが感じられず、アドリアーノの反則技とも言える一発と相手の間隙を突いた2点で世界王者の面目を保ったという感じだった。とは言え、ここから尻上りに調子が上がっていけば全く問題はないのである。
ホテルに戻ると、出発前とはうってかわってそこには人があふれかえっていた。今日の試合のお祝いに駆けつけたと言うわけだ。中にはバイヤー・レバークーゼンの会長、そして懐かしいカーザグランデ(ソクラテスとともにコリンチャンスで活躍した元セレソンのメンバー。悲しい事にお腹は出ていたが・・・)の顔もあった。
boots-roomさんメッセージ送信 » |